その身に刻まれているのは時間だけではない
木の大きさでその木の偉大さを図ることはできませんが、それでもやはり両手を回せないほどの大きさの木にはこれまで積み重ねられた時間の重みを感じて感嘆してしまいます。大きな木を見つけると半分本能的に触りたくなる衝動に駆られますが、それは木の放つどこか神秘的な力に引き寄せられているのかもしれません。
古来の人たちも大木に神秘性を感じ、御神木として敬い祀るようになりました。大きな木の幹に触れると元気がでるような気がしますが、以前神社で出会ったおばあさんは私たちが木に元気を分けてあげていてそのお返しをもらっているんだよと話してくれました。